THE FORMER NARA PRISON

THE FORMER NARA PRISON

[歴史]近代監獄の夜明け

1 人権意識のない奉行所

旧奈良監獄内に移築された「ギス監」
今から約400年前の1613年(江戸前期・慶長18年)、現在の奈良女子大学の敷地内に奈良奉行(南都町奉行)所が設立されますが、こうした町奉行所は、囚人にとってみれば制度も建築も非常に劣悪なものでした。1.5畳ほどの座敷牢は、キリギリスを入れておく虫カゴに似ていることから、通称「ギス監」と呼ばれました。

2 "不平等条約”で迫られる日本の近代化

江戸末期の1858年(安政5年)に、日本とアメリカ合衆国の間で日米修好通商条約が締結されます。この条件のうちいくつかは日本にとって不利なものでした。そのうちの一つが、領事裁判権の主張です。領事裁判権とは、日本国内で外国人が罪を犯したときに、出身国の領事が自国の法律で裁くというものでした。いわゆる「治外法権」です。この条約が通称、"不平等条約”と言われるのはこの「治外法権」や「関税自主権の放棄」などの理由があります。 明治維新を経て、近代日本の夜明けの光明を見てもなお、この"不平等条約”は尾を引いたのです。こうした"不平等条約”を改正させるには、日本が欧米諸国と肩を並べることのできる、法治的な近代国家であることをアメリカを中心とした諸外国へ示さなくてはいけませんでした。そこで明治政府は、司法の整備と合わせ、ややもすると後手になりがちな負の部分をあえて優先的に先進化することで、自国の近代化をアピールしようと考えました。そういった経緯ではじまった一大プロジェクトが監獄の近代化、 「明治五大監獄」の建造なのです。

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