THE FORMER NARA PRISON

THE FORMER NARA PRISON

[教育]更生プログラム

1 人権と更生を重視した受刑者教育

受刑者ごとに罪を犯した背景や、罪の意識もさまざまです。真に更生を図るためには、自ら犯した罪を認識し、同年齢の青少年が持っている筈の“健やかな情操”を育みながら、社会復帰への道を探っていくことが必要不可欠です。奈良少年刑務所は、そうした健全な心持ちを育て直す場でありながら、出所後の生活を支える職業への訓練の道が豊富に開けていることで有名でした。

2 個々に合わせた「改善指導」

懲役刑の執行にあたっては、第一に受刑者自身に自らの責任を自覚させることが不可欠です。奈良少年刑務所では、「一般改善指導」として、社会性涵養教育、暴力回避教育、希望開拓講座など、個人のパーソナリティへ訴える改善指導を行ってきました。
また、更に個別の問題点を改善するため、薬物や交通安全指導、被害者の視点を取り入れた教育などを実施していました。これらは全国の少年刑務所でも同様のプログラムが組まれていますが、奈良少年刑務所では、全国に先駆けて性犯罪再犯防止指導にあたるなど、多様化する青少年の問題に対する受け皿としての役割を大いに果たしていたと言えるでしょう。

3 豊富な「職業訓練」

左官や建築などの実習用に建てられた一軒家
左官や建築などの実習用に建てられた一軒家
奈良少年刑務所は職業訓練が豊富なこととしても有名でした。中でも敷地内に併設されていた「若草理容室」は、訓練を受けた受刑者が職員や街の方の散髪を担うことで受刑者が理容の経験を積み、その後の社会復帰を円滑に送るための仕組みとして大いに貢献したと言います。
そのほかにも、建築や溶接など時代の変遷に合わせて様々な職業訓練が用意され、多くの受刑者の出所後の生活の足がかりとして貢献を果たしました。刑務所の敷地内には小さな一軒家が建っており、左官科や建築科の受刑者たちの施工の練習台として使用されていました。

4 クラブ活動

1951年(昭和26年)のバレーボールクラブの様子 出典:『奈良少年刑務所70年史』
1951年(昭和26年)のバレーボールクラブの様子
出典:『奈良少年刑務所70年史』
奈良少年刑務所では職業訓練や学習指導のほかにもクラブ活動が大変盛んでした。こうした活動は受刑者の高い自主性に委ねられた「開放的処遇」として評価されています。特にサッカーやバレーボール、野球などのスポーツを通して地域社会の交流が行われており、阪神タイガース創設期からの投手で監督も努めた若林忠志氏は1949年(昭和24年)に慰問に訪れた際に「スポーツ精神で良い青年に更生してください」と優勝盾を贈呈し、刑務所内でのソフトボール大会の優勝盾として継承されていたそうです。

関連おすすめ