[建物]監獄としての機能性
1 ハビランド・システム
旧奈良監獄をはじめとした明治五大監獄の内部構造は、ジョン・ハビランド(1792-1852)の「ハビランド・システム」を取り入れています。多くの刑務所を設計したハビランドですが、1825年にフィラデルフィアのイースタン州立刑務所の設計において、このシステムを確立させたと言われています。イースタン州立刑務所は、旧奈良監獄と同じように、監守が立つ監視所を全体の中心に据え、複数の収容棟が放射状に伸びています。この放射状の構造により、監視所に立つ看守の目は常に全方位の収容棟に行き届くようになっているのです。
実際に日本が「ハビランド・システム」と出会ったのは、シンガポールでのことです。イギリス植民地時代のシンガポールに建てられた刑務所を見た明治政府の刑部省囚獄権正、小原重哉(1834-1902)はこうしたシステムを「監獄則」「監獄則図式」へまとめ、 太政官布告として頒布しました。これが今日の日本における「監獄」文化のはじまりと言われています。
2 単独室
3 工場
設立当時、5つある収容棟のうち、第一寮〜三寮は「独居舎」、第四寮は「夜間独居舎」、第五寮は「雑居舎」として使われていて、第四寮「夜間独居舎」は第4・5実習場へ、第五寮「雑居舎」は第1・2実習場へ、それぞれ直接行くことができました
これは、「独居舎」に入った受刑者は部屋から一歩も出ずに作業するのに対し、「夜間独居舎」は昼間「雑居舎」と同義で、日中は他の受刑者と工場で共同作業をする、という設計者の山下啓次郎の考えに基づくものと考えられます。
この建物の屋根組みに見られるクィーンポストトラスという構造は、明治期の建物の特徴のひとつで、日本の伝統的な家屋より、細く、少ない木材で建てられる合理的な方法でした。
4 拘置監
現在の拘置所にあたる場所で、未決囚が収容されていました。建物は十字形で、見張所を中心として放射状に広がる3つの収容棟が配置されています。